昼に某所で嫌原発と日本、みたいな話題になってぼんやりやりとりを耳にしていたのですが、現代のけがれとしての世の解釈傾向を見るに現場作業をされてる方々はいわば一種の人柱なんですかねぇ。なんかあっちゅうまに日本昔話的世界に。ただしやや殺伐とした。
そして、物語研究の界隈でちらと耳にしたのですが、本来論的な童話の構成要素って結構な率で残虐性が入っていることらしいですね。Omitすると口伝の力を失うとか(詳細割愛)。感情的な動きが強い昨今、科学や近代の中にぽっかりと中世と民話が産み落とされてるのが今なのでは。
ぐるっと回って原発というのが神の火的な見方をされてるというのは割と周知のところ。科学の勝利という既存の科学史観的なコンテクストから今は明らかにズレている。ニーチェの神から原始信仰的な神へ。ってか中世より前だよね、これ。畏怖恐怖絶望としての神と火。
今の日本は、1)悪魔の火を恐れる宗派のけがれ落とし活動、と、2)科学的にリスクマネージしようとする動き、の対立なんでしょうねぇ。そしてこの二つは言語的にも別位相なので実はも何もなく典型的なディスコミュニケーション。この先鋭加減を受け止める闇鍋用語的な意味で「政治」、と。
そして、ちょっとだけ情緒的に語ると、宗教的構図がめっきり濃くなってるところで、エリアーデ的な豊饒さがそこに無いのが悲しい。何を絶望とするかという問いに答えるとすると、エリアーデがくびき殺されるかのような今の状況が悲しい。原発やら何やらの難しい状況ではなく。
ポストモダンと魔女狩り、という本はおそらく書けてしまうように思う。ちょっと難度上がるけど金融ももはや魔術になってきてるのでセットで扱えるよ。
そして、民話の話に戻ると、根源的な恐怖を内包した物語を受容できない社会になってるというのは、もしかすると古代中世よりもしすてみっくリスクは上がってるのかもですね。シャーマンもいないし。村の長老もいないし。
おそらく今は理と知が、ついでに情報も効かないんだよね。情念と怨念で動いてる。感情的というよりもうちょっと重くてどろっとしたもの。311を皮切りにバベルは崩れて言葉は乱れたんだよ。暗黙の共同体だったはずの中に、根深い異文化を生み出したのだよ。おそらく。
思想が大事だ、言葉が大事だ、という声は分かる。でも、無意識に「話せば分かる」という前提に立ってやしないだろうか、と。もはや、「話すことすら成立しえない」というディスコミュニケーションを目の前に何を紡げばいいのだろう。
おそらく今は理と知が、ついでに情報も効かないんだよね。情念と怨念で動いてる。感情的というよりもうちょっと重くてどろっとしたもの。311を皮切りにバベルは崩れて言葉は乱れたんだよ。暗黙の共同体だったはずの中に、根深い異文化を生み出したのだよ。おそらく。
あ、伝記じゃない。伝奇、だ。
分かりやすいところで、各地の反応を見てると、がれき=けがれ、なんだよねぇ。。。
いまね。おそらくは次の村上春樹が出てきうる状況と思うのですよ。まだ気配が無いし、それを成しうる人が誰かというのは思い当たらないのだけれど。もしかすると日本人でないかもだけれど。でも、日本から出そうよ。条件揃ってるんだよ。消化して昇華して吐きだそうよ。
漫画なのかなぁ。土台は。もしかすると小説から出てこないという予感の元に眺めてるのがいいのかもしれんですね。
例えば、だけれども今時分の救いってのは「あさがきーて、toi toi toi」なんだろうなぁ。一見ささやかすぎて見過ごしてしまうけれども。
出典: twitter.com